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高齢者には欲望がないのか。老人とヒト括りにされる

2006年06月30日 17:23

人間には性欲はないのか。毎日、色んな大事件が報道される。しかし、昨日、インターネット上のニュース速報に一行報道された様な事件はどのメディアも取り上げない。
事件報道をそのまま写せば次の内容です。

女児にわいせつ行為、75歳逮捕=「ゲームしよう」と誘う−大阪府警(時事通信)
 小学生の女児を自宅に呼び、わいせつな行為をしたとして、大阪府警淀川署は29日までに、強制わいせつの疑いで、大阪市淀川区無職三木容疑者(75)を逮捕した。 同容疑者は「悪いことをしてすいません」と容疑を認めている。同区内では女児が公園などで声を掛けられたという訴えが相次いでおり、同署は同容疑者の仕業とみて調べている。 調べでは、三木容疑者は昨年12月11日、同区内の小学女児(11)に「テレビゲームをしよう」と声を掛けて自宅に招き入れ、下着を脱がせてわいせつな行為をした疑い。[時事通信社:2006年06月29日 13時10分]
この事件だけ取り上げればこの75歳の容疑者が悪い事に誰も反対しない。今までも60歳代のこの種の犯罪が有ったし、悪いことについては疑いの余地は無い。

しかし、高齢者のこの種の犯罪について、深堀したメディアは未だかって無いと思う。
一般的に言えば高齢者に関しては、年金とか・介護とか・医療とかの問題が言われているけれど、性の問題は一般社会も、行政も、政治も、あらゆるメディアも無関心かあるいは無関心化を装い誤魔化している。
この根本原因は人生五十年説に起因していると思う。陰陽五行説に基づく、青春・・・10代から20代の人生の春、朱夏・・・30代の働き盛り、白秋・・・人間的に落ち着いてきた40代、玄冬・・・人生の歳月を積み重ねてたどり着いた老齢の境地。現実は恋愛小説にしても、絵画・映画・歌・テレビの殆どが青春中心。
だが、人生五十年⇒⇒人生八十年いや九十年に変化してきた今、青春・朱夏・白秋・玄冬の年代も大きく変わったのではないか。白秋・玄冬は六十代から考えねばならないのでは。
最近、読んだ、渡辺惇一のエ・アロールという小説では合計年齢が軽く二百歳を越す三角関係や元銀座ママ売春騒動、老夫婦別居同棲などが描かれている。

六十代から枯れていくものでも、老醜でも有らず、きわめて意気軒昂に過ぎていく高齢者にスポットを当ててください。

僕個人でいえば、六十歳を越したけれど、 
誰かガールフレンドになってくれませんか。切にお願いします。

今日はバドミントンを3時間やり、くたくたの肉体疲労の中で、どうも、自分の言わんとする事を簡潔・的確に書けない。必ずや再度、書きます。
整理すると、1.高齢者の性は少子高齢化の様にやがて社会が向き合わなければならない問題となる。 2.高齢者は枯れていくものではない。肉体年齢は実年齢より若く色んな意味で現役となるものが増える。  3.老化は現実にはあるが、このメカニズムは複雑で一概に高齢者老化しているとは言えない。個々の差が甚だしい。

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