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素敵な話…渡せなかったカメラ
2011年11月16日 13:41
…昨夜撮った地元のイルミネーション…
【渡せなかったカメラ】
青木敬/愛媛県
NTT西日本コミュニケーションより
新しく自分の世界を広げてみると、思いもかけない出会いと発見がある。
今年、勤続40年の会社を定年退職し趣味の写真を楽しむ毎日。
そんな時、娘がブログに写真を載せてみてはと勧めてきた。
私は今まで一度もパソコンに触った事もなく、デジタルカメラなども何か機械が勝手に写真を撮っている気がして、
いまだにフィルムカメラしか使えないアナログ人間である。
しかし、色々な人に自分の写真を見てもらいたい気もあるし、同じ趣味の人とも交流してみたい。
退職して時間はあるので、何か第二の人生の生きがいになるかもしれないと、
参考書片手に娘に教えてもらいながら写真と簡単な日記を掲載する事にした。
何もかもが初めてで新鮮な驚きだった。
さらにインターネットには写真を投稿できるホームページがあったり、カメラについて詳しく書かれているサイトなど、今まで知らない世界が広がっていた。
パソコンを開けて日記にコメントがついているのが嬉しく、段々とブログを通じてコミュニケーションをしていくのが楽しくなり、毎日の様に写真をアップしてコメントを貰ったり返したりするようになった。
そんな時、昔学生時代に撮った写真を載せようとネガを現像してスキャナーで読み込んだ。
それは私が高校の頃、夏休みに写真部で石鎚山に登り撮影した時の写真だ。
すると、岡山に住んでいるという女性からコメントがついた。
そしてぜひ会って話がしたいという。
今までコメントのやり取りは楽しんでいたが、実際顔の知らない人と会うとなると少々怖い。
しかしその方は、自分が住んでいる松山まで来てくれると言い、さらに名前や住所なども明らかにした上で是非にと頼まれたので会うことにした。
待ち合わせの日、現れたのは私と同い年くらいの女性の方だった。
軽く挨拶を済ませ喫茶店に入る。
すると女性は一枚の写真を取り出した。
一瞬目を疑った。
それは私がブログに載せた石鎚の写真だった。
話を聞くと彼女の夫は高校時代の私の友人だったのである。
懐かしい思い出がよみがえる。
彼と私は写真部で仲が良く、その日も石鎚の写真を撮りに一緒に山に登った。
彼はカメラを持っていなかったので、私のカメラを二人で崖側の岩に三脚を立てて構図を決めたり、フィルムやレンズを色々変えたり苦心しながら撮影した。
その写真は、県の写真コンテストで入賞し、学生生活で一番の思い出になった。
しかし後日、面河渓を撮影したいというので彼にカメラを貸した時、彼がカメラを壊してしまった。
今思えば、使い方を詳しく説明せず不用意に貸した私が悪かった。
彼は必ずカメラを弁償すると言い、申し訳なさそうに謝ってくる。
しかし彼の家は母子家庭で兄弟が多く、母を少しでも助けようと彼が毎朝新聞配達のアルバイトをしているのを知っていたので、カメラの事は気にしないでほしいと言うが、責任感の強い彼も譲らない。
もしかしたら彼は家庭のことで気を遣われたのが嫌だったのかもしれない。
その後関係がギクシャクしてしまい、彼は写真部にも顔を見せなくなり三ヵ月後、突然転校してしまった。
風の便りで、家計を助けるため大阪で昼間働きながら夜学に通っていると聞いたきり、連絡を取る事もなく時が過ぎてしまった。
聞くと、彼は一昨年にガンを患い亡くなっていた。
最後まで私のカメラのことを気にかけていたらしい。
彼は夜学を出た後、働きながら写真学校に行き、岡山に写真館を開いて今も息子たちが引き継いでいる。
同窓会などに何度も行こうとしていたが、私と顔を合わせ辛いのかいつも悩んだあげく途中で帰ってきてしまうそうだ。
そして最近、彼の息子がたまたま私のブログの写真を見て驚いて知らせてきたらしい。
なぜなら、何十年と居間に私と一緒に撮った石鎚の写真を引き延ばし飾っていたという。
奥さんはバックから当時私が使っていたのと同じ型のカメラを取り出した。
彼がいつか私に渡そうとしていたものだ。
もうクラシックカメラに分類されるくらいの年代品だ。
もちろん完全手動のマニュアル機。
しかしちゃんと手入れがされており十分現役で使うことができる。
涙が溢れてくる。
彼はずっと約束を守ろうとしてくれていたのだ。
近年、インターネットが発達しメールやブログなど、人とのコミュニケーションのとり方も昔と随分変わってきたと思う。
私もブログのおかげで世界が広がり、こうして再び昔の友人と心の絆を繋げる事ができた。
しかしそのベースにあるのは人を思う気持ちだ。
コミュニケーションの方法がどんなに変わっても、相手を思いやる心はずっと変わらないのである。
ジーンと響きました(*^^*)
このウラログへのコメント
こういう事があると、実名登録のフェイスブックも捨てておけないんですよね。
ティムヘスさん:そうですね。今回は写真が特にきっかけになったようでもありますがそれだけではない筈
のむのむさん:嬉しいですつい載せちゃいました
自分もそのとおりと思う。
どんなに生活が変わっても大事なモノは、どの世界も思いやり。
ゆうき2さん:ほんとですね。思いやりは凄く大事
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