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こんなときどうしますか?

2016年09月14日 23:37

江戸時代経済学者石田梅岩(いしだばいがん)”さんが認めた“青砥藤綱(あおとふじつな)”さんのエピソードです。


ある日、鎌倉にある滑川(なめりかわ)の川辺を、部下を伴って歩いていたとき、彼は誤って10文銭を川に落としてしまいます。
急いで部下たちに川の中をさがさせましたが、なかなか発見することができません。
そうこうするうちに、日が暮れ、辺りが暗くなってきました。
さすがの青砥もこれであきらめるかと思いきや、50文を部下に渡し、町でたいまつを買ってくるように命じたのです。
たいまつを灯して、捜索活動を続けようと考えていたわけです。
それからしばらく経って、たいまつの明かりのおかげで、10文銭は発見されました。
それは確かによいことかも知れませんが、10文を探すために50文を費やしたことについては、どう考えれば正解なのでしょうか。
40文の損失だから、青砥の行為は愚かしいものだと判断すべきなのでしょうか。
捜索活動が終わった後、青砥は部下に次のように話したといいます。
すなわち、「もし自分が川底に沈んだ10文銭をあきらめていたら、天下から永遠に10文が失われてしまったことだろう。
もしそうなったら、自分は天下に申し分が立たない。
それに対して、費やした50文は、町の人々のものになっただけで、失われてはいない。
だから、自分の行為は一切間違っていないのだ」、と。
梅岩は、この青砥の行為を、高く評価しています。
その理由は、彼が「自己利益」にとらわれず、世の中全体のことを考えて行動したからにほかなりません。

なぜ名経営者石田梅岩に学ぶのか?
森田健司 著
ディスカヴァーより


梅岩さんはこの事を「天命に合致して福を得る」と言いました。
商売は、自己利益を得るために行うものなのか?
それとも、世のため人のために行うものなのか?
アルフレッドアドラーは、以下の言葉をのこしています。
「判断に迷ったら、より多くの人間に貢献できる方を選べばいい。
自分よりも仲間たち、仲間たちより社会全体。
この判断基準で大きく間違うことはまずないだろう」
「どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを毎日考えるようにしなさい。
そうすれば憂鬱な気持など吹き飛んでしまいます。
反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいます」
自分を喜ばせようとすればするほど、自分は喜べません。
それどころか不満が増える一方でしょう。
人を喜ばせようとすればするほど、自分は喜べます。
それどころか、幸福感が増える一方でしょう。
放っておいてもいつか人は死にます。
あの世には、お金も株券も持っていけません。
残るのは、自分が与えたものと、その意志。
だからこそ、天と公を意識していきたいですね♪

このウラログへのコメント

  • RyuTa 2016年09月17日 23:52

    やはり、アドラーは素晴らしいねー

  • なな♪ 2016年10月02日 20:58

    RyuTaさん:アドラー、やはりご存知でしたか(*^^*)って有名ですもんね(^^)

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