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大菩薩峠; 見た映画 May ’06 (1)

2006年05月10日 11:22

大菩薩峠      東宝、120 分  1966年


監督:岡本喜八
原作:中里介山
脚本:橋本忍

 
出演: 三船敏郎 島田虎之助
    仲代達矢  机竜之助
    中谷一郎   宇津木文之丞
    加山雄三   宇津木兵馬
    伊吹新    岡田彌市
    久世竜    大橋訥庵
    久野征四郎   加藤主税
    宮部昭夫   土方歳三
    香川良介   机弾正
    佐々木孝丸   中村一心斉
    佐藤慶     芹沢鴨
    小川安三   与八
    新珠三千代   お浜
    西村晃     裏宿の七兵衛
    川口敦子   お絹
    大木正司   沖田総司
    滝恵一     児島強介
    中丸忠雄   近藤勇
    長谷川弘   斥候の青山
    天本英世   神尾主膳
    田中邦衛   やくざの浅吉
    藤原釜足   お松の祖父
    内藤洋子   お松
    園千雅子   お梅
    早川恭二   藤堂平助
    梅香ふみ子   お絹の家の下働き


中里介山の作は未だ読んだ経験はないものの風評では大菩薩峠は大作で味があるとは聞こえていた。 時代物、サムライ物では山本周五郎藤沢周平池波正太郎をいくつか、学生の頃、オール読み物や中間小説雑誌で見知り、こんなものかと却ってそれらを愛読する読者の方に興味が行ったものだ。 学友たちが興奮しながら話していた山田風太郎にしてもそれについていく想像力には欠けていた。 

この前観た「サムライフィクション」にはいたく失望し、それも現代への翻訳という点と軽さ、映像処理という事では納得しないではなかったものの、科白と人物像のミスマッチの匂いは受け入れ難かった。 それもそのうち忘れて、多分、布袋の印象だけが記憶に残るのだろう。

だからそのことへの口直し、ということでこれを選んだのだろう。

どこかでこの、いくつかある映画化された「大菩薩峠」のリストを見てこれが最新のものであることを知った。 京都の大スター、大河内山荘大河内伝次郎のものが初めだとあり、その後に片岡知恵蔵が続く。 大河内のものはまだ見たことがないけれど、子供の頃、村の寺の本堂で夏の夜、蚊を追いながら村人、祖父のそばで知恵蔵のどっぷりした白い着流しの丹下左膳の、苔猿の、をみたような薄い記憶がある。 後年これを坂東妻三郎の息子が演じたものをテレビで観たのではないか。 その後、テレビの発展期で徐々に夏の夜、村の寺での映写会さえ皆がテレビに釘付けになるに連れ廃れていったのではなかったか。

今回、蓋を開けてみるまで仲代達也のものだとは思っても見なかった。 

パッケージの蓋を開けるまで市川雷蔵だとばかり思っていた。 眠狂四郎円月殺法だったのかと一瞬思ったものだが、これの数年前に市川中村玉緒で撮られていた、その出演者と今回のものをどこかでみて比べると出演者の顔ぶれでこちらの方がより味があるように思った。 市川大菩薩峠」は森一生の作らしく、この人は時代物に優れていると聞く。 「赤胴鈴の助」などとまだ物心ついてまもなく親に連れられて南極観測船宗谷丸のドキュメンタリー映画とともに観たものから後年の勝新太郎座頭市ものまで作っている。 座頭市は子供の頃、母親の長い物指しを仕込み杖よろしく真似して周りから叱られたものだが、これもテレビ時代にシリーズでみたものであろう。   

高校生の頃か「星影のルンナ」と訳が分からないような歌の少女歌手として出た内藤洋子と西村晃の話にはこの話を紡ぐしっかりした横糸の役目があり、ことに今まで多くの悪役を見てきた西村にはここでは頬の緩む思いをしたのは娘を持つ親の気持ちも加わっているからなのだろうか。それにもう一つ、強盗の護身用としてちらと覗かせる飛び道具に興味が行った。

天本英世の、時代の中で時をニヒリズムの目で眺めながら、退廃と狂気でやりすごそうとする地方大名と仲代、机竜之介の虚無に「大逆事件」を身近に経験している作者の影が大きく見えることがこの作品を他の時代劇とは空気中の冷気に差を作っている理由だろうか。

仲代と新玉三千代のコンビは素晴らしいものだ。 仲代の呆けたような、それに加えて笑っているかのような虚脱感を見せて濡れたように光る眼の主人公に相対する、夫のため、家のため身を挺して、そのために全て失ったあと机を選び追って子までなす女の身を演じる新玉の姿は翻弄される性と定めに主体的に棹差そうとする女に最適である。机の虚無とこの女の強さがバランスを取り終盤に向かって交錯する関係の仕組みがよく練られた脚本になっている。

岡本喜八の作はあまり観ていない。 浪人生の頃、いたく感心した今村昌平の「神々の深き欲望」に並んで観た「肉弾」ぐらいだろう。 戦争が我々の青春時代には大きく影を落としており高度成長期ベトナム戦争好景気をどう捉えるのかといったことを考えなければ通れなかった時期に観た「戦争もの」の一つだった。 他には、既に原作を読んでいた五味川純平「人間の条件」の映画化では仲代、新玉コンビだった。

ここではもう一つのコンビが興味深い。 黒澤明「赤ひげ」での三船敏郎と若き侍医師の加山雄三だ。 ここでの三船はともかく先走り気味の加山に比べ、その数年後のこの作品では二人とも主人公ではないものの抑えた演技が自然に写り両者も私にはここでの方が優れているように感じて驚いたものだ。 これも二人の監督の資質の違いなのだろう。

このように私には興味深い俳優の多い作品であるからだらだらと上に演者の名前を記したのである。

ただ、御前試合の緊張、相手を誘い出す魔剣、音無しの構えの上出来の場に比べ最後のちゃんばら荒唐無稽さには少々うんざりした。 それはテレビの「三匹の侍」シリーズで居合い、抜刀、刀の重量を見せるリアル殺陣を既に見ているからでもある。

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