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少し成程話:大きい人間とは

2013年04月01日 20:52

少し成程話:大きい人間とは

櫻木健古氏の心に響く言葉より

俳聖、松尾芭蕉の「無能、無才にしてこの一筋につながる」は有名な言葉であるが、この“無能、無才”は自嘲であろうか?
とんでもない。
むしろ、俳諧という“一筋”には「ひそかな自信」があるのであり、これと比べたら他の分野には…という、謙遜の辞にすぎまい。
俳句程打ち込んでいないから、俳句程の自信はない、という意味のものかと思われる。
「アレができる、コレもできる」と得手を数多く並べ立てる人よりは、むしろ、より「できる」のかもしれないのである。
西郷隆盛はまだ10代の時に「自分はいかなる才能もない」と自覚したそうだ。
といって、「おれは何をやってもダメだ」と絶望したのではないようである。
劣等感にとりつかれたわけではないのだ。
劣等感本質は自分が劣っていることに反発し、これを承知できない、と力むところにあるが、西郷の場合は客観的精神でもってこれを認め、肯定しているのである。
「それでよし」としているのだ。
又、彼のいった才能とは技術的な分野の才能という意味のようである。
「だから」と彼の自覚は続く、「こういう自分のなすべき仕事とは、才能をもった人達の才が活きるように、彼らに仕え、又、彼らを動かすことのほかにない」と。
ひろい意味での“政治”が自分の任であると自覚したわけであろう。
彼において“無才”を自覚した謙虚と、政治という“一筋”にかけた「密かな自信」とは、一体のものであったはずである。
「私(わたくし)がない」という共通項で、この両者は合致しているのである。
彼が政治にかけた使命感は、おそらくは彼自身の予期よりもはるかに大きく花咲いた。
幕末維新の大変革期の中心人物の一人となって、天下国家を根底から動かしたからである。
これだけの大仕事をしておきながら、しかも彼は、「人間一人が一生にやれることなど、タカが知れている」といつも口にしていたそうだ。
自分がなした業績など、歯牙にもかけていないというふうであった。
「大きい人間とは、これだ!」と勝海舟がこの言をとらえて激賞している。
「功名をなそうという者には、功名はけっしてできないものだ」と注を加えて…。

『人間における自信の探求』ぱるす出版


自分のことを才能がないと心の底から言い切ることの出来る人は大物。それは、自信があるから言えること。でも、小物は大きなことを言ったり、自慢したりして、自分を少しでも大きくみせようとする。自信がないからだ。
その西郷が、江戸無血開城の立役者、幕臣山岡鉄舟をさしてこう言った。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
私利私欲なく、公に殉ずる覚悟のできている人は始末に困る。
ありのままの自分をさらけ出してもなお、魅力ある人でありたい。

このウラログへのコメント

  • ベソ 2013年04月02日 02:17

    この時代の人間は皆、スケールが大きいよね。それとも今の我々が矮小化したのか…

  • なな♪ 2013年04月02日 09:18

    ベソさん:今は昔より平和(?)になった分、何かが変わってしまったように思います(>_<)

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