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ネットの心温まる話:幸せは私達の近くに

2013年04月23日 15:53

女の子だけ続けて7人を生んだ母。
8人目は男の子だと確信していたお祖母さんと父は、また女の子であった私を見て、失望のあまり、20時間に渡る厳しい分娩を耐えた母に、ご苦労さんの一言も無かったという。
結局、父は幼い私達と母を置いて、家を出ていき、何年かして他の女性と新しい家庭をきづいたと聞きました。
父が家を出ていった後、母は辛抱強く畑仕事に専念しました。しかし、娘たちを母一人で背負うにはあまりに重い荷物でした。
姉達は小学校もまともに卒業できないまま、他に家の女中や、こま使いとして独立していきました。
幼い頃に裸同然で、厳しい世の中に身を投げ出した姉たちは、学べなかった悲しみが、どんな大きかったのか。末っ子だけは違う生活を願いました。そんな姉達の援助で、私は高校まで卒業し、ソウルに上京し、電子製品の組み立て工場就職しました。
そこで主人と出会いました。最初は、気性が激しく、酒好きの主人が嫌でしたが、培った性格の裏に隠された、情にもろい心と家庭の愛を受けることの出来なかった幼い日々の傷跡を知り、少しずつ心を開いていきました。
家庭の反対を押し切り結婚するとき私は、主人を新しく生まれ変わらせたかったし、またそうする自信もありました。
愛があれば、何でもできると思っていました。
結婚後、主人は酒をあまり飲まなくなり、誠実に仕事に打ち込み職場の同僚が驚く程でした。しかし、程なく永年飲んできた酒のために肝臓をやられ、糖尿の通知まで受けました。安静にしていなければならないとの医者からの勧告で、職場を辞めた挫折感が手伝い放浪を始め、再び酒を口にするようになりました。泣きっ面に蜂で、冷蔵庫、ガスレンジまで手放して売るほど賭事におぼれてしまいました。出来ないようにすると、暴力を振り回して、私の給料日には黙って会社に来ては横取りをしていきました。
ほぼ廃人となった主人でしたが、いつの日か以前の姿に戻るだろうと、かすかな希望を持っていました。私のお腹の中に新しい命が育っていたため、その思いは一層切なるものでした。しかし、血筋も主人の傾いた心を取り戻すことができなかったように思います。ひっきり無しに泣く子供に耐えかねた主人は、家を出て賭博場で生活をしました。借金は少しずつ増えていき、借家を他の安いところに移してでも借金を返そうとしましたが、既に主人が安い借家に移した後でした。
ことに至っては、粉ミルクおむつまでも持っていき、酒と変えてきた時には本当に全てが嫌になりました。しかし、私は父の愛を知らずに育った悲しみを知っているので、子供にだけは同じ傷を与えたくありませんでした。
その時から、仕事を辞めて子供を姉に預け、歯を食いしばって主人について回りました。店に入って酒を買おうとする主人のズボンの裾を掴んで離さず、博打場の隅でラーメンを食べている主人に暖かい御飯を作って運び、下着と靴下もきれいに洗濯して、ドアの前に置いてきました。
そうして6ヶ月、ついに主人はもくもくと耐えて待っていた私の前にひざまつきました。出来損ないの自分を捨てて、新しく出直せと頭ごなしに言っていた主人が、その日は涙を流しながら、もう一度だけ機会をくれないかと言い、もう酒も止めて家族の為だけに生きると言ってくれました。
私は主人の手を握りしめました。
周囲の人達は、主人がまた酒と賭事の誘惑に陥るだろうと止めましたが、私が主人の手を離さなかったら抜け出せない誘惑の沼はないと信じています。
最近主人は、託児所の送迎バスの運転をしています。仕事を終えた主人が家事を手伝ってくれ、子供を肩車して仕事を終えた私を出迎えてくれると幸せはこういうことなんだな。私達の近くにあるんだと思います。
数えきれない大きな幸せを願いません。ただ、今まで遠回りしてきた私たち家族3人が、危ない迷路に陥らないように、こんな小さな幸せに感謝して生きていけるよう願うだけです。

…小さな幸せ感じてますか?

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